寓意編-3






 テーゼとアンチテーゼ

テーゼ=命題

アンチテーゼ=テーゼが同時に内在している矛盾

ドイツの実存主義哲学者ヘーゲルの弁証法で提起された、ものの考え方。

すべての事象は、矛盾することを内在しており、これが統一されてジンテーゼとなるとする。

ある命題が提示された場合、そこには必ずテーゼに相反する矛盾(アンチテーゼ)がある。

たとえば、生物の成長は、常に死に向かって進んでいることと同義であり、生は、そのこと自体が死ぬことである。

つまり、生は死という矛盾を含む。

弁証法を、用いて解けることは、以下のとような事柄がある。

人間は、生殖によって子孫を残すことができる=人間は不死ではない。

生殖=不死ではない。

ヒトの造りしモノ=ジェットアローンならばエヴァンゲリオン=ヒトの造りしモノではない。

「残酷な天使」がテーゼなら、「親切な悪魔」がアンチテーゼ。






社会を映すもの

自分自身を映すもの

逆転しているもの



子供は特別な存在ではなく

子供は、社会を映す鏡である

大人がテーゼであるならば

子供はそのアンチテーゼである

それは対偶でもあり

それもまた真である

子供の悪は大人がすでに肯定しているのだ

大人の社会が病めば

子供の社会も病む

大人が悪を排除すれば

子供も自分にとって悪と見なしたものを排除する

大人が毒を排除すれば

子供も自分にとって毒と見なしたものを排除する

大人が死を排除すれば

子供も自分にとって死と見なしたものを排除する

大人が本音を言わなければ

子供も心を開かない

大人がきれいごとで体裁を取りつくろえば

子供もきれいごとで体裁を取りつくろう

大人の世界が力の強弱や立場の強弱で成り立っていたり

大人が強いもののごきげんをとって弱いものを苦しめると

子供の世界ではいじめがはびこる

大人が意見を統一しようとしたり(オルグ、総括)

少数派の意見を無視して排除しようとすると(マイノリティへの差別)

子供の世界でも仲間はずれを平気で行なうようになる

大人がフリーセックスを謳歌すれば

子供は援助交際を行なう

※高校性はオジさんではなくオヤジと呼ぶ

大人が嘘をつけば

子供も嘘をつく

大人がお洒落をすれば

子供もお洒落をする

大人がヒステリーになると

子供もヒステリーになる

大人が責任をとらないと

子供も無責任になる

大人が言い訳をすれば

子供も言い訳をする

大人が恥じをかきたがらないと

子供も叱られることを恥じをかかされたと思う

大人がプライドが高いと

子供も増長する

大人が決まりを守らないと

子供も決まりを守らない

大人が学力よりも学歴を優先すれば

子供に学力は身につかず序列優先の社会になる

序列の下位に置かれた大人は子供からも攻撃される(オヤジ狩り)

これは大人が肯定しているからだ

すなわち「大人がそう望んだ世界」である



エヴァは、見るものの心を映す鏡である。

だからひっくり返されている。

エヴァを見ると、見た者の心が映し出され

様々な答えが現れる。

しかし、そこに映し出される答えは自分自身だから

それは、あなたの望んだ世界である。

それが真実であり、真実は一つではない。

なぜなら、エヴァは鏡なのだから。

ただし、

鏡が左右を逆に映し出すように

望んだ世界には矛盾を含む。


エヴァは、見るものの心をを映す鏡である。

そして、第26話では、何と!客席が映し出されてしまった。

「気持ちいいの?」と聞かれてしまった。

しかも、客のいない風景まで映し出されてた。

パンフに掲載されているの鶴巻氏のインタビューでもわかるが、制作者は、エヴァというLCL(=エデン)に浸って楽しんでいるファンを現実に引きづり出そうと(サルベージ)している意図が伺える。

それ故の実写でもあると思える。





あなた(人類)の望んだ世界

あなた(人類)の望んだ世界

しかし

テーゼはそれ自身にアンチテーゼを含む



悪を排除した世界

             悪は排除するのではなく、自己に内在する悪と闘うことである

             排除された悪は、さらに大悪となって人類に復讐する

             悪の免疫の無い人間は、いとも簡単に悪に変化する

毒を排除した世界

             毒を失った人類は毒に勝てない

             排除された毒は、さらに進化して人類に復讐する

死を排除した世界

             死への免疫の無い人間は、いとも簡単に殺す

危険を排除した世界

             危険への抵抗力を失った子供

             ヘルメットをかぶった集団登校

             一人が事故に会えば全員が巻き込まれる

             PL法…すべてが安全な商品

             消費者の商品への抵抗力も消える

陰と暗を排除した世界

             陰気な者や暗い性格の者は、マイノリティとして排除される

醜さを排除した世界

             醜いものはマイノリティとして排除される

差別の無い世界

             差別はなくすのではなく、自己に内在する差別心と闘うことである

平等な世界

             順位の無い運動会

             全員主役の学芸会

             担任がクラス全員の給食を公平に取り分ける

皆が同じ意見を持つ社会

             マイノリティの排除

             ブランドブーム

             個性はムラから排除される

自由な性交渉

             性病、エイズの蔓延

自由な性表現

             ヘアヌード

自由な表現

             大衆と芸術の隔絶

自由な報道

             被害者も加害者もプライバシーを暴かれる

             プライバシーの侵害

自由な世界

             満たされることのない人間の欲望とわがまま

便利な世界

             満たされることのない人間の欲望

             そして

             便利になった代償として人の心から思いやりは消える

誇りとプライド

             増長と自尊心と自己過心

柔軟性と強調性

             優柔不断

決断力や自立心

             強情とわがまま

自己のアピール

             人の身になって考えない人類

民族の自決

             終わらない民族紛争

助け合い

             依存心の助長

自然保護

             保護された動物は繁殖し、農作物を食い荒らす

             餌付けされたイルカは、子供を育てなくなり、子イルカは死ぬ



どうしてこんな世界になってしまったの?


それをあなた(人類)が望んだからでしょ。



エヴァにおいても、現実世界においても、実は、矛盾こそがテーゼであり、矛盾を受け入れてはじめてジンテーゼとなる。





混同

自由とわがままをとりちがえた人類。

不利益ということと不愉快・不快を混同した人類。

自然の保護と自然との共存とは違う。

自然保護の名のもとに行なわれる自然破壊

環境保護の名のもとに行なわれる環境破壊

民族の自決と民族の共存とは違う。

何かを守る

何から?

敵を作りたがる人類

共存できない人類

子供の人権を守るなどと言う前に、

そもそも、もはや大人は子供と共存していない。

子供とは、守るものではなく、共存するものなのだから…



矛盾・アンチテーゼのもたらすジレンマ

ごみというものは、本来存在しない。

それは、人類が作り出した観念でしかない。

ごみを不快とする人類。

ごみを燃やせば二酸化炭素は増える。

これは、地球にとって悪である。

ごみを放置すれば、ごみは土に還り、肥料となる。

しかし、異臭を放つ。

異臭は、人間にとって不快であり悪である。

しかし、異臭は地球(自然)にとって悪ではない。

人間が不快であり悪であるものが、実は環境にとって善である場合がある。

不自由さは心をやさしくし、便利さは心をすさませる。

清潔さは決して健康を生まない。

安全であることは危険への抵抗力を奪う。

唯物論を謳歌したソ連は、物不足によって崩壊した。

逆に、自由を謳歌しているアメリカは、自由のもたらす犯罪によるジレンマに悩む。

共産主義を唱えたのは、マルクスである。
彼は、自ら弁証法を唱えたドイツ実存主義哲学の提唱者ヘーゲルの後継を自負していた。
そして、弁証法によって、資本家に対するアンチテーゼとして労働者を置いた。
しかし、実際には資本主義とは、資本家(テーゼ)と労働者(アンチテーゼ)の関係ではなく、
生産者(テーゼ)と消費者(アンチテーゼ)の関係だったのではなかろうか。
企業は利益追及のために消費者の欲望を刺激して物を売り、こんどは、企業によって刺激された消費者の欲望は、加速し、さらに良い商品、さらに安い商品、さらに安全な商品への要求が高まり、これが今度は企業を圧迫する。
企業にとって、労働者の交換はきくが、消費者が物を買ってくれないと企業は死んでしまう。
つまり、生産者と消費者がお互いに矛盾を内包するテーゼとアンチテーゼになっていたのだ。
物があふれても、心は満たされない。

衣食足りて礼節を忘る。

仕事のできる人間だけ集めたら、その一割の人間はサボるようになる。

逆に仕事のできない人間だけ集めても、その一割の人間は働くようになる。

4番打者だらけの巨人は、首位になれない。

商品を売るためには、売れない商品が2割必要だ。

売れない商品が売れる商品を売っている。



かげ・影・陰

働きすぎが問題なのではなく、ゆとりの無いことの方が問題である。

塾通いが問題なのではなく、子供から遊ぶ時間が消えたことの方が問題である。

実体ではなく、その影の方が大事である。

…というよりも、我々が影と思っているほうが、実は実体だったりする。

託児所、給食、塾。

大人は自ら、子供の養育と子供と接する時間とを排除した。

子供から逃げる大人。

子供との共存を避けたがる大人。

かって、遊びこそが本当の子供の学習の場であった。

今や、子供の遊ぶ時間は大人に奪われた。

大人が楽をするために。

もはや、休みの日は、大人よりも子供の方が忙しい。

大人よ、子供(=残酷な天使=使徒)から逃げちゃ駄目だ!



共存=ジンテーゼ

自然との共存

死との共存

悪との共存

毒との共存

危険との共存

不快との共存

かげ(影・陰)との共存

異文化との共存

異民族との共存

マイノリティとの共存

マイナス面との共存

矛盾との共存

アンチテーゼとの共存

そのとき、はじめてジンテーゼとなる。





寓意

エヴァの世界で描かれる寓意は、

残酷な天使=使徒(15歳)=子供

であり、

使徒を倒すためには、同じ力を持つエヴァでなければならないのだ。

そして、エヴァのパイロットには14歳の子供が選ばれる。

私の論理でいけば…

この寓意によって、エヴァの構図は以下のようになる。



●母親の愛を( eyeを/A10)知らない15人の15歳の子供たち(使徒)が母親(アダム)を求めて暴れている。

●子供(使徒)と共存できない大人(親切な悪魔)は、(使徒と)同じように母親のいない14歳の子供たちに母親の魂と合体して、その子供たち(使徒)を殺させる。

●14歳の子供は、本来彼等の持つ力を封じ込めるため校則によって拘束(拘束具)されていた。

●しかし、思春期を向かえた14歳の子供(エヴァ)は、自我に目覚め(覚醒)、暴力をふるうように(暴走)なり、大人たち(人類)の手には負えなくなる。

●親(リリス)は、大人(親切な悪魔)によって知恵と眼力と愛を失い、権力を失って廃人同様になっている。また、親(リリス)は、足が地に付いていない。

●十字架に張り付けられた親(リリス)は、神のような顔(子羊の仮面)をしているが、それは仮面でしかなく、その仮面の向こう側にある本当の父の心には、愛(eye)が無い。

●神は、親(リリス)にもう一度親権を与えよう(ロンギヌスの槍)とするが、大人(親切な悪魔)によって妨害される。



今や、アダムも、ああそしてリリスさえも悪魔の手の中にある。

悪魔に荷担した人類こそが、実は残酷な18番目の天使(6+6+6=18=獣)であった。


しかし、これもまた、私の心がエヴァに映し出されているだけかもしれないのだが。





私の論理が当たっているかどうかは、解らない。しかし、とりあえず私の中では完結している。

インターネットや書籍で様々なエヴァ論を展開されている方々も、自身の中では論理が完結されているのだと思う。

 しかし、私はそれでいいのだと思う。

エヴァとは、本来そういうものであり、それを意図して制作されているのではなかろうか。

 これだけ論理の暴走をした私が言うのも無責任な言い方かもしれないが、今では、私は謎の部分が正解かどうかは、あまり気にしていない。

それよりも、私は、エヴァが提起したと思われる現代日本社会の持つ病巣へのメッセージの方に関心が移っている。

しかし、これとても、私がたまたま、かって教育に携わり、今も少なからず教育に関連する仕事をしている人間だからこそ、エヴァについてそういった見方をしているのであろうし、他の人生経験を持つ人はもっと違う見方があるのだろうと思う。

 THE END OF EVANGELIONでは、すべての謎は説き明かされないかもしれないし、そもそも真実は一つではないかもしれず、見方によって複数の解が出るようになっているのかもしれない。

それでも私は良いと思う。

エヴァンゲリオンは、科学や歴史的な事実を解明するものではなく、あくまでも芸術作品なのだから。

芸術作品は、本来、一つの答えを要求するものではないのだ。

ハリウッド映画もそうであるが、最近の映画やドラマや小説のストーリーは、わかりやすいものが多すぎると思う。

また、我々はそれに慣れすぎている。一つの答えを出さねばならないということに慣れすぎている。

学習を訓練と捉え、真実を研究し追及する楽しさや学習する楽しさよりも、一つの答えを出すことに重点が置かれすぎている。

◯×式の解答やマークシートに慣れているから柔軟な発想は出てこない。

学校でも技能教科と感性教科が軽視され、知育偏重に陥っている。

 THE END OF EVANGELIONの結末に不満を抱いている人達は、作品に対して、受動的すぎると私は思う。

芸術作品とは、本来は、鑑賞する側がもっと能動的にアクセスすべきものだったのだ。

 「アダムと同じ、リリスと呼ばれる生命体の源から生まれた18番目の使途なのよ」

これを、もしも国語の問題にする場合、出題者は、一つの答えを要求するだろう。

そして、その答えとは、出題者が「これが正解だと思った」答えである。

しかし、エヴァのファンの方なら、この台詞からは4通りの答えが考えられることを知っている。

もう、おわかりだろう。

一つの答えを導きだし、○×方式や、偏差値偏重に陥っている今の日本の教育がいかにおかしいか。

答えを求めることが、学習の価値や教育ではなく、考えることそのものが学習の価値なのだ。

だから、上の台詞も「答えが何か」ではなく、「この台詞からどういうこと(いく種類のこと)が考えられるか」の方が重要なのである。

エヴァは、答えを教えない。

エヴァは、一つの答えを要求しない。

エヴァは、命題(テーゼ)を提起するだけである。

しかし、それゆえに、エヴァは、見る者に学習させる。

書籍やインターネットでは、エヴァについて各自が調べたり、聞いたことを元にして、さまざまな意見が交換されている。

これこそが、真の学問の姿であり真の学習の姿なのだ。

アニメが娯楽でなければならないということはない。

それはパラダイムに他ならない。

アニメのお約束ごともまた、然りである。


 エヴァは、私に色々なことを調べる機会を与えてくれたし、頭を使わせてくれた。これは、私にとって有意義で楽しいことだった。満足している。それでよいと思っている。

 夏の映画で謎の全てが明かされなかった。

エヴァンゲリオンは、一つの答えを出そうとする日本人への強烈なアンチテーゼであると我々は受け取るべきである。


 エヴァは、社会現象にまでなったといわれているが、私はもっと問題にされ、取り上げられるべきだと思う。

エヴァは、かめばかむほど味が出る。

エヴァには、もっと深いメッセージが込められている。

エヴァには、もっとたくさんの見方がある。


 日本人よ、エヴァから逃げちゃダメだ!


 大人よ、子供から逃げちゃダメだ!



エヴァンゲリオンは、庵野監督が発した、病める日本社会への命題(テーゼ)であり、福音(エヴァンゲル)であると確信(カクシン)したい。




 

 

 

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