寓意編-2




酒鬼薔薇聖斗逮捕に関連しての追記

 実は、私は教育学部出身であるが、4年生のとき、教育実習を前にして、教育学部付属小学校長が言った。

「子供を天使と思ったら大間違いだ。火傷をすることになるぞ。」「子供は天使である面と悪魔のような残酷性との両方を兼ね備えている。」と…

 つまり、

「残酷な天使」=子供

であり、このテーゼは、現代の日本の大人たちへ向けられたテーゼであったと考えられる。

 そして、そのアンチテーゼである

「親切な悪魔」=大人

も子供の顔色ばかり気にする大人たちへのメッセージであると考えられる。

映画を見る前の7月18日に、「エイチエム3」という雑誌の及川眠子(「残酷な天使のテーゼ」「魂のルフラン」などの作詞者)のインタビューを読んだ。

何と!残酷な天使は子供という意味で作詞したと書いてあった。

作詞者とシンクロしてしまいました。



 自然と接せず、動物の死とも接せず、死の意味も生の意味も解らなくなった子供にとっては、動物の死も生も、人間の死も生も、すべて「等価」としてしかみなされなくなるのだろう。

よく、殺人を犯した人間は、周囲の人から「虫も殺せないような人だったのに…」と言われる場合があるが、虫も殺せない人間であるからこそ、虫と人の命が等価になってしまい、人も殺せるのではなかろうか?

 そういう意味で、第17使徒(残酷な自由の天使)である渚カヲルの言う「僕たちにとって、死と生は等価なのだよ。」は、強烈な日本へのメッセージであると受け取れる。

 そして、渚カヲルは、虫も殺せないような内向的性格の碇シンジによって、カエルのように握り殺されるのだ。

ここは、日本に発せられた強烈なアイロニーである。

 渚カヲルが登場する第弐拾四話は、謎の多い、意味しんな台詞をちりばめながら、重苦しい雰囲気で、しかも、ものすごく速いストーリー進行を見せるが、逆に、この握りつぶされるシーンは、一瞬時間が止まったかのように長い時間静止する。静止によってシンジの心の葛藤を表現しているとも思える。


自由をはき違えた子供、そして日本人

自由を振りかざし大人の世界へ土足で踏み込む行為

自由の天使である渚カヲル

残酷な天使である子供

死と生が等価(…というか価値が見い出せない)である子供

「僕たちにとって、死と生は等価なのだよ。」

虫も蛙も殺せなくなった子供たち

「さあ、僕を殺したまえ、そうしなければ、君たちが滅びてしまう。」

アダムに還る(カエル)ためにやって来た渚カヲル

両性類の蛙

両性的なカヲル


 このアンチテーゼは、渚と対比させられる綾波によって描かれている。

リセットできる生命体である綾波レイ

生きているのに知らない人

やっと感情が宿った二人目は、もはやこの世にいない。肉体は存在しているのに…

「たぶん私は3人目だから。」

「どうして、私また生きてるの?」


他人に好かれることでしか自己の価値(すなわち居場所)が見い出せない子供

碇シンジ

はじめて、自分を好きだと言ってくれたカヲル君

しかし、その彼を殺さざるをえなかったシンジ

はじめて知った生と死の意味

そして、ますます自己の殻に閉じこもるシンジ


自分を好きだと言ったカヲルを殺さざるをえないシンジ

シンジを守るために死んだレイ?

死と生の意味の重さ


きまりやマナーが増えるほど差別も増える

価値観の統一も差別を生む

人は時間や場所を管理されると依存型の性格になる

そして自分の心の居場所をなくす

これは場所が狭いという意味ではない

自分が透明な存在になるということだ

※ここにいてもいいの?


シンジのアンチテーゼはリョウジである

彼は3つの組織に属している

しかし、そのどこにも心を置いてはいない

彼の心は彼の中にある

ふらふらして居場所の無いような彼こそが

実は心の居場所が存在している


他人のいたみのわからない子供

A10(愛を)介していたみを感じるシンジ

シンジをいじめるトウジとケンスケ

彼等もまた

シンジのエントリープラグに入ることによって

はじめてシンジのいたみをわかった


言葉による暴力

惣流アスカ・ラングレー

しかしその報いとして

彼女の心は犯された

「いたい。いたい。心を犯さないで。」


アラエルもまた

報道による暴力である

マスコミが常に大衆の代弁者であるとは限らないし、

大衆が常に善であるとは限らない

マスコミによって暴きたてられるプライバシー

無責任なワイドショー

精神汚染されるアスカ

居場所を失ってゆくアスカ

しかし、何という皮肉であろう

マスコミはすでに知恵と目を失っていた

盲目的なマスメディア

アラエルは知恵と目の象徴であるロンギヌスの槍によって殺された

報道は愛を(A10/eyeを)刺されることで死んだのだ


虐殺

映画「DEATH」編で大きく描かれる「虐殺」の文字

観客は思う

「人類の敵である使徒を殺しているのに、どうして虐殺なのだろうか?」

と…

使徒から赤い血が流れ、町を血で汚す

ゲームやドラマでは描かれないリアルな死が描かれる

観客は気が付く

敵だから殺していいのか

化け物だから殺していいのか

見にくいものは殺してもいいのか

かっこいい死などない

ゲームのように殺すごとに自己の点数が上がることは現実にはない

死はゲームではないのだから…

観客は気が付く

ゲームやドラマなどによって、自分自信もまた「死」というものに対して麻痺していることに…

「死」への麻痺は「生」への麻痺でもある


生物は本来は捕食のために殺す

それは他から生を貰い、死をもって生を受け継ぐことを意味する

初号機のように…

「死」は土に還り

新たなる生命を育む

還りなさい。あなたが過ごした大地へと…

これを行なうのは日本人が嫌いなバクテリアである

土は「死」が無いとできない

土はまたバクテリアも無いとできない

古代の人は耕作は土を傷つけるという認識があった

しかし、それによって生命が生まれることも知っていた

死から生が生まれる

だから古代人は大地に生贄を捧げた

土から新たなる生を実らせるために

だから母なる大地と呼ばれる

そこから大地母信仰が生まれた

だから死と再生の儀式は子宮に見たてた洞穴で行なわれた

ラスコーやアルタミラの壁画もそこに描かれた

ターミナルドグマも子宮に見たてられる

この考えは西洋ではミトラス教になり

ユダヤ、キリスト教に受け継がれた

死海文書も洞窟の中にあった

東洋では道教や風水の陰穴の考えになった

そして…

心の居場所を持つリョウジは土を耕す

還りなさい。あなたが過ごした大地へと…





粘土は、鉱物だが、土は鉱物ではない。

岩→石→砂→粘土と

単に風化して細かくなったものが粘土と呼ばれる。

そこに生き物と分解者がいた場合には、土になる。

細菌やバクテリアが無いから粘土にしかならなかったのだ。

ところが、最近、当社には、おかしな要望が寄せられる。

「抗菌粘土はできないか。」

一方、以下のような要望もある。

「粘土で作った作品を土に還したい。」

菌が無いから粘土なのであるし、粘土を土に還したければ菌を入れるしかないのだ。

自然界は、生産者(喰われる生物)と消費者(喰う生物)と分解者(細菌、バクテリア)の共存によって循環し、バランスは保たれている。

分解者がいないと死体や老廃物は土に還らずそのまま残ってしまう。

ところで、産業界と我々の生活というものは、生産者と消費者だけであり、分解者がいない。

ゴミを燃やすことは、分解ではない。炭化させて二酸化炭素を放出しているにすぎない。

世の中のすべてを抗菌化するということは、自然界に存在する分解者を殲滅し、自然界のバランスを人の手で壊すことを意味している。

誰も指摘しないが、抗菌ブームとエコロジーブームとは、全く相反するものなのである。

エコロジーを叫ぶのであれば、抗菌は捨てなければならないのだ。

だから、本当に自然を愛し、土を増やすことを考えるならば、ゴミは燃やしてはいけないし、落ち葉を集めてたき火をしてはいけないし、ゴミはカラスや犬に食べさせなければならないし、道ばたにある犬のふんを処分してはいけない。



自然

よく「田舎には自然がいっぱい」などと言うが、田舎にも自然はない。

自然とは、人が人工的な手を加えてない、自然な生態系のことを言う。

いわば、原生林のような状態であり、生態系は、そのき生息する種の数が多いほど安定すると言われている。

しかし、田も畑も植林されている山も一種類のものを大量生産するために人間が造った、いわば工場なのである。

そして、そこには土の機能を持つ細菌もバクテリアも虫も農薬よって殺している。

それによって、土本来の機能は失われ、アメリカでは開拓当時の十数倍の肥料を与えなければ同じ収穫量が穫れなくなっている。



死と生に対して麻痺した人類、そして観客

さらに

映画「REBIRTH」編ではこう言われる

「人間も18番目の使徒なのよ。」

「お互いを拒絶するしかない悲しい存在でしかなかったけどね。」

使徒殱滅

使徒虐殺

しかし使徒とは人の形を捨てた人類であった

そして18番目の使徒である人間どうしの殺戮

殺し合い憎しみ合う残酷な人類

そして今

人を傷つけた報いとしてエヴァシリーズが舞い降りる

天使のように

生命を無に還すため…

「サードインパクトをおこすつもりなのよ。」

「使徒ではなく、エヴァシリーズを使ってね。」

それは

死と生の価値を忘れた人類への警鐘でもあった


…しかし


酒鬼薔薇事件は起こってしまった…


 私がエヴァのHPを立ち上げてから一週間後に、酒鬼薔薇聖斗が逮捕された。
驚いたことに、14才の中学生であった。
 しかし、さらに驚いたのは、この事件が、私がエヴァのHPで指摘したところの、病める日本の社会と教育界、それに子供を取り巻く環境を端的に表わしていたことだ。
正直、私は絶句した。私は、警告と予想の意味を込めてあれを書いたつもりだったのだが、すでに日本は、ここまで病んでいたのかと思った。
 エヴァのパイロットであるシンジたちも14才であり、酒鬼薔薇聖斗もまた14才であった。
いずれも心の居場所のない子供たちである。
 そして、事件は新興住宅地という、コンクリートで大地も川も固められた、人工的で無機的な、虫も魚も蛇も蛙もいない、まさに「死の町」でおこった。
自然や土が無くとも歌舞伎町や東京の下町、そして道頓堀や大阪の新世界のように人間臭い街もあるが、新興住宅地というのは生活の匂いとか共同体の持つ人間味が無い街だ。
そこは、一見すると清潔だが、死と毒も悪も共存していない、そして人間味も人情味も存在しない町だ。
それを人間の手で排除したからだ。
そもそも、住む(喰って寝る)ためだけの街など、自然には存在し得ないのだ。
「住む」ことと「生活」することとは同義ではないのだから。
そして、酒鬼薔薇聖斗は、殺人の実行場所に唯一の緑地である雑草の生い茂る小高い山を選んだ。
 兵庫の教育委員長は言った。
「命の大切さを教えたつもりだったのに。」
しかし、「命の大切さ」とか「他人の痛み」は教えてわかるものではない。
経験を通して感じるものだ。
 私は、第伍章で「死と毒と悪との共存を避け、削除しようとする日本人」と書いたが、酒鬼薔薇聖斗もまた数ヵ月前に担任の教師から「おまえのような生徒は、もう学校に来なくていい。」と言われている。
つまり悪の削除である。
そして今また、彼は写真週刊誌というメディアによってプライバシーを暴かれ、今度は大衆によって削除されようとしている。
アスカと同じように…
社会が彼を削除しようとすればするほど、彼のようなタイプは、ますます殺人をもって自己の存在を社会にアピールしようとするだろう。

 誤解のないように言っておくと、私は酒鬼薔薇聖斗の肩を持つつもりは毛頭無い。
彼は大きな罪を犯したのだし、当然、罪は償わなければならない。
体罰と削除の復讐として殺人を選択するような人間の気持ちなど、とうてい理解できないし、理解しようとも思わないし、理解しようとしてはいけないと思う。
 人類最古の文字もまた、メソポタミアの洞窟の中で発見された。
そこには「世も末だ。最近の若者は礼儀を知らず、目上の者への挨拶もろくにできない。」と書いてあった。
つまり、太古の昔から、この言葉は繰り返されてきたのだ。
しかし、この言葉を大人が言わなくなったら人類は終わりだ。これは通過儀礼なのだ。
これを繰り返すことで子供と大人は切磋琢磨し社会の秩序は保たれてきたからだ。
子供の気持ちが解るなどという大人や教師がいたら、それは大嘘つきの儀善者だ。
だいたい、うそで「好きだ」とか「気持ちは理解できる」などと言われるよりも、本音で「嫌いだ」とか「理解できん」と言われた方が良いに決まっている。
ところが、今の親や教師は子供に好かれないと駄目だとか、子供の気持ちを理解しないと駄目な教師(親)と見なされるのではないかといった強迫観念に縛られている。
登校拒否の子供の親は、子供の顔色を伺う人間や子供の気持ちを理解しようとするタイプの人間が多いと聞いた。
大人は本来、子供の気持ちが解るはずはないし、子供も大人の気持ちは解ろうはずが無いのだ。
しかし、本来それで良いのだ。
これは、「人のいたみを知る」というのとは、別次元なのだ。
 私が小さいころは、町内におっかないおじさんやおばさんが何人かいた。
まあ、これは、我々が町内でいたずらをしてまわるからだが…
しかし、我々は、そのような怖い大人に対し、畏敬の念は持っても怨みを感ずることはなかった。
逆に、現代のように大人が全員子供好きだと言い切ってしまう社会の方が、不気味で異状な社会ではなかろうか?
私が前章で書いた「子供至上主義」の弊害とは、このことを言うのだ。

 体罰だとか管理教育とか義務教育とかバーチャル体験とか、例によってマスコミは一元論的に問題の核心を突き止めようとしているが、この事件は、エヴァンゲリオンと同じように、現代日本に対する複合的な謎の提起であるのだ。
起こるべくして起こった事件と、造られるべくして造られた物語(人はエヴァを造ることにその意義があった)なのだ。
両方とも一元論的な問題の解読は不可能であり、様々な問題の提起がちりばめられている。
だから…
マスコミも、エヴァンゲリオンを単なるヒットアニメとか社会現象とか経済効果といった切り口で捉えるのではなく、エヴァンゲリオンが現代社会に発しているメッセージを真剣に捉え、また解読しなければならない。
そうでなければ、第2第3の酒鬼薔薇聖斗は、必ず出現する。




 

 

 

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